2001-05-23 第151回国会 衆議院 厚生労働委員会 第13号
これは、日本の医療あるいは医学と言ってもいいのかもしれませんけれども、閉鎖性と申しますか、あるいは封建性、封建的な一つの側面が出たというふうに私は思いますけれども、そこがオープンにならなかった。医療行政上もそこに変化が起こらなかった。しかし当時、沖縄は、琉球政府は、これは別でございましたけれども、琉球政府の方は、その直後に開放政策に転回をしたわけでございます。
これは、日本の医療あるいは医学と言ってもいいのかもしれませんけれども、閉鎖性と申しますか、あるいは封建性、封建的な一つの側面が出たというふうに私は思いますけれども、そこがオープンにならなかった。医療行政上もそこに変化が起こらなかった。しかし当時、沖縄は、琉球政府は、これは別でございましたけれども、琉球政府の方は、その直後に開放政策に転回をしたわけでございます。
これは、現場の医療の現状というのは、専門性の壁や密室性の壁や封建性の壁ということで、非常に風通しが悪いというか、開かれていないと私は日ごろ感じているわけですが、そういう医療の現場で、患者の権利が侵害されたり、個人の尊厳がないがしろにされている事例というのはいっぱい挙げることができます。今日でも、そういう問題状況というのはいっぱい出ているわけですね。
しかし、同時に大事なことは、日本の大学の持っている封建性ですね。一たび教授になったら二十年も三十年も教授のままでおられるとか、あんなとんでもない社会はありませんよ。アメリカのハーバード大学やMITはどうですか。あんなばかげたことをやっているから、私は名前をここで挙げると人権問題になるから言わないけれども、日本の大学教授なんというのは大蔵省へ持ってきたら使えませんよ。
株主総会というふうなものを公開しないという企業もたくさんあるわけで、一昨年公開したけれども去年はそれを公開しないようにしたとか、むしろ全体の流れとして進歩しているようには見えませんし、そういう企業の封建性とか非社会性あるいは反社会性というものをどう虫干しするかということですね。それが、一年一回の虫干しがいわば株主総会であるわけですけれども、そういうものがほとんど機能していない。
これは余談で、結論を出すわけじゃないですけれども、これがやはり私が言うところの制度の封建性、封建的性質ももちろんその制度の中から出てくるのですけれども、制度的な意味合いを持つ封建性、こういうふうに思うのですが、民事局長どう思われますか。
それから三つ目は、医療の封建性です。閉鎖性という言葉を福島先生さっきおっしゃいましたが、まさに閉鎖性でございまして、この三つがあるということは、どんなきれいごとを言っても日本の医療というものは発展をしない、こういうふうに思います。
私は、この分科会におきまして、日本の農政全般にわたって、その持つ、私とすれば最も大事な側面であると思っております、農業が日本社会にどういう位置を占めているか、それが人々の意識にどういう関係を持って、従来言われておりますように農村が非常に封建性が強い、こういう言葉で表現をされております、そのあたりを農林水産大臣にお尋ねをしたい。
日本の閉鎖性あるいは封建性、学閥というようなものはだんだん払拭されておっても、あることは間違いないわけでありますから、そういう日本の医療界の中で一体どうすればよいのかという辺の御意見をお伺いしたい。
その上に立って、今後のあり方として、少なくとも軍国主義であるとか、反動的であるとか、封建性に対しては厳重な検討を加えながら、根絶のために役割を果たさねばならぬと書いてある。さらには、中立の立場をとりつつ、反動的思想の打破、民主主義の確立のためには決意を持ってやらなきゃいかぬというふうにも書かれているわけであります。
○中林委員 非常に理解ある御主人あるいは家というもの、そういうところがあれば、使用収益権の設定ということもできるでしょうけれども、大臣のいまの御答弁を聞きますと、私は、まだ日本の農家にある封建性の残りかすといいますか、その点が御理解いただけてないと思うわけなんです。
私も教育には熱心な一人なんですけれども、非常にこれは憂慮すべき問題だという点で心配をしているんですが、非常に封建性の強い町の中学校、高等学校でシンナー遊びが非常にはやって、父兄にショックを与えている。あるいは性的な犯罪がある。いろいろなことで驚くばかりでございます。
それが日本の教科書の、大学の体育の中に、決定的に「遺伝」という言葉で、精神の病気になった人さえも、社会の外に封じ込めるという封建性がある。これはちょっと教育の問題から飛躍しているようですけれどもね。体育の教科書に載っているから言うのです。「遺伝によってある程度人間の能力に差がある以上、教育万能論は正しいとはいえない」。これは最初から動物を論議する場合の問題ならいいですね。
そういう中でも依然として身元引き受け、身元保証というふうな封建性が残って現存しておる。それがいろいろの弊害を起こしておるという事実を取り上げて、そしてこの六カ条の法律をつくったものだというふうに私は考えるのであります。
それから、町村が赤字は出していないから、集計するとことしは赤字町村がわりあい少ないな、何とかうまいこといったか、こういうことに考えられるのですが、町村が赤字を出さぬということは皆まじめで封建性が強いですから、町村長が赤字出したと言うたら首の問題になる、借金したと。だから、やりたい仕事をやらず一年延ばし二年延ばし、赤字を出さぬようにつじつまを合わしておる。
たくさん申し上げることがございますが、前の医育教育のもとにおきましては、生命の尊厳ということを、実は封建性の中で先輩あるいは教授諸君から、ともかく手をとって教わってまいりました。しかし、いまではやはり様子が違ってきているのです。中における生命の尊厳というようなものを、学生諸君あるいは研究者に考えさせる時期が、非常に少なくなっておるように思われてならないのであります。ここにいろいろな問題が出てくる。
医科大学あるいは医学部というものが封建性の巣窟であって、私学で言いますと、神学部とこの学部と二つがともかく封建性のかたまりみたいなところで、ここから問題は爆発した。 しかし、このことの反省に立ってわれわれは物事を考えると同時に、将来の医学部のあり方というものは、あなたのここで分子科学の研究所をつくられる、これをつくられる場合に、一体どういうような連中を中へ入れますか。
現在、人事につきまして、閉鎖性とか封建性とか、いろいろな非難がなされているわけでございますので、そういう弊害を打破するのにも、この仕組みが役割りを果たすことができるのじゃないだろうかと、こう考えておるわけでございます。
○瀬野委員 私はただいままでいろいろ申し上げてきたことについては、いろいろ検討すべきこともたくさんあることもわかりますが、そういったことをかねがねわれわれも感じておりますので、十分検討をしていただいて、われわれが言うまでもなく、当局は専門的にずいぶん検討されていると思いますけれども、やはり林業が国民的要請にこたえるためには、いろいろと思い切ったことをしないと、従来から林野関係は封建性が強くて、型にはまったようなことがありまして
社会的にどういう影響が出たとしても閉鎖をする権限を大臣は持っているはずでありますから、そのくらいのことはやはりやる姿勢を示さなければ、こういうガリガリ亡者の封建性の非常に強い人は姿勢を直さぬと思うのです。そういう、私はいままでの文部省の態度が非常になまぬるかったのじゃないかということを心配するのです。
そういう経常的なあいそうのよろしい近代的経営と、内部に隠れております封建性通達というものとが、全く目に見えないスタンドにおけるさまざまな問題が存在をしておると思うのです。その標本がこのエッソのようなものでありまして、まことに私はこのエッソのマネプラ方式については、この際大いに根本的な改善をすべきである。金もない、資本もない、裸一貫、おれは何かやりたいというまじめな青年がおる。
特に東大の医学部の封建性、こういうものが今日の医療の荒廃や破壊を導いておる大きな根源ではないか。だから、そういう面において、そういう実態の認識とそういう政策との関連において、国民的な立場で医学教育の改革を考える、こういうことがやはり非常に大切な点であるし、それを無視いたしまして全体の大学構想を抽象的に議論をいたしましても、これはかなり浮き上がった問題ではないか。